因果応報

夏休みももうすぐ終わり。
明けて楽しい新学期、と思いきや、
今日は日本国民の胸の内を表すかのようなどんよりとした空。
さっきパラパラと緩やかな雨も降っていた。

休み中、結構本を読んだ。
ネットの世界もほんの少しcatch upできた。
海外旅行には行かなかったけれど、
空間を行き来出来た感じがする。

空間とは思想であったり、インターネットであったり、たっぷりな睡眠であったり、
宙を感じたりする事。

宙を感じる一番手っ取り早い方法は、瞑想。
理想の生き方をリストアップすると、上位に瞑想が入ってくる。

元はと言えばこのブログも瞑想して感じた事を書こうと思っていたのに、
未だぐずぐずして更新が滞っている。

むかし何かの本で読んだ。
スピリチュアルを探求して行くと、宇宙にたどり着くと。

宇宙と言っても、宇宙人に宇宙船に乗せられる、とか
月の裏側には基地がある、とかそう言うのとは少し違う。

スピリチュアルを知る前は、そんな考え方しか出来なくて、
どこか、うさんくさい、だとか、怖い、だとか思っていた。
でも心の片隅で、大っきくなったら知る世界、と言うのも感じていた。

スピリチュアルを知って、仏教が好きになる。
神道も好きだけれど、仏教はハートが欲している。
神社に行くと頭を垂れて身を委ねたくなるが
仏閣に行くと好奇心が騒ぎ出す。

つくづく日本人で良かったと思うひととき。
この為に日本人に生まれて来たんではなかろうかとさえ思う。

密教の最高仏、エースである大日如来は宇宙そのもので在らせられる。
宇宙を育むアウトサイダーであり、宇宙を内包するインサイダーである。
仏は一文字の梵字で表現出来き、この文字が、大日如来、即ち宇宙を表す。





業と呼ばれるもの、行動や口にする事、はたまた、ただ考えた事と言う行為は、
この宇宙の空間に漂っていて、我々はそれをどう自分の中に取り入れて行くかで、
行動が定まり、それによって人生が展開して行く。

その起きた結果を人は因果応報と呼ぶ。
業は自分で作り出したものの他、前世から持ち越しているもの、
また今世で取り組みたい課題としてあげたもの、
また人のお世話、家族や友人、様々な人との繋がりで生まれる物もある。

私達は起きた結果だけ見て、因果応報だ、なんて決して言う事は不可能なのだ。

大日如来はどうすれば業を仏と同じ心境で取り入れることができるのか
教えてくれる。


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