与えられた自由である選択権

人生は選択の連続だ。
洗濯とも書ける。

確かに、毎日毎日、着た服を洗い一年が過ぎる。
そして一年は数年、十年、と時を重ねる。

私たちは服を洗い、
どの道を選ぶか決める。
それがその人の生き方になる。

ランニングをしていたら、仏様の言葉に出会った。
お寺の前に掲げてあるメッセージボードだ。

ピンとくるものがあったので、写真に撮って、言葉を太陽の背景に合わせてみた。



『どちらにするのか迷うのは
どちらでも良いからである
どちらかにしなければならないなら
迷うことはない
未来のことはわからないので
迷って時間を使うより
早くどちらかを選び
選んだ道で全力を尽くせば良い』

確かに、迷うだけ時間の無駄、というのはわかる。
でも定食屋でうどんにするかそばにするか選ぶのとはワケが違うのだ。
そういうのは速攻である。

でも、選ばないと踊り場でぐるぐる回ることになる。
そしてつまらないことに時間を取られ消耗する。
目的地には一生たどり着けない。

どうしてあの世は、私たちに『選択肢』を残すのだろう。
決めてくれたら楽なのにって思う。

でもこれが私たちに与えられた『自由』
私たちは人生をそうやって作る。

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